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交流の場

新庄の芭蕉を訪ねて
  • 名前:阿部修一
  • 卒業学部:人文学部
  • 卒業年:1981年卒
  • 回:第11回
  • 連絡先:メールアドレス:abe-s310603@docomo.ne.jp
 前掲の尾崎秀真さんは江戸川柳なので、それに対抗してということでもないのですが、江戸時代の有名な俳人の松尾芭蕉についてです。その芭蕉が私の地元の新庄に泊まって、句会を開きました。そこで私は、現職を退いた仲間と芭蕉の句碑や史蹟を訪ねました。ガッツポーズあり義経あり西行ありの、なんでもありの芭蕉めぐりです。
 はじめに、風流という俳人が「御尋ねに 我宿せばし 破れ蚊や (おたずねに わがやどせばし やぶれがや)」という句をよみました。わざわざたずねて来て下さったのですが 私の家はせまくて しかも蚊帳(かや)が破れています という意味です。実際に家が狭く、蚊帳が破れているわけではないのです。芭蕉の俳諧仲間では、自分はまだ小さな存在で、目立ったいい俳諧を作ってはいないと謙遜しているのです。そのため、これから俳諧について、くわしく教えてくださいということです。
 これに続けて 芭蕉の句は 「はじめてかほる 風の薫物 (はじめてかおる かぜのたきもの)」、ここに来て はじめて香る夏の薫風で 涼しくなりました という意味です。夏の薫風とは、涼しい風の香りであり、さりげないお香であり、蚊帳が破れているので、杉の葉などを燃やしている蚊遣火の香りなど、一つに絞れない深い味わいがあります。
 ところが、これを受け取る側の新庄の人々は、「はじめてかおる」に重点を置いて解釈し、芭蕉が新庄の俳諧のいい香りを誉めてくれたのだと、自分たちに都合のいい解釈をして大喜びしたことでしょう。現代の人だったなら、「よっしゃ」と言い合って、こぶしを握り締めてみんなでガッツポーズをすることでしょう。
 次は、木端(ぼくたん)という俳人が「疵洗はんと 露そそぐなり(きずあらわんと つゆそそぐなり)」という句をよみました。落ち武者が 戦で受けた疵を洗おうとしても 近くに水はなく 草葉の露をかけただけでした という意味です。
 これに続けて 芭蕉は「散花の 今は衣を 着せ給へ(ちるはなの いまはころもを きせたまえ)」という句をよみました。死んで散りゆく身になってしまい 見苦しくないように 今は散る花びらの衣を 私の上に着せて下さい という意味です。
 芭蕉は、散る花びらの主人公が誰なのか、考えていたのでしょうか。二人考えられます。一人目は、源義経です。義経は 兄であり 鎌倉幕府の将軍である 頼朝から追われる逃亡の身でした。逃亡の途中で新庄に立ち寄った伝説があります。歌舞伎の義経千本桜では、都から逃げて来て、満開の吉野の桜に囲まれます。今は美しい桜も、いつかはかなく散っていく、義経の栄光と没落を物語っています。
 二人目は、平安時代の歌人、西行法師です。「願はくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月(もちづき)のころ」、実際に西行は、春の満月の夜に、桜散る場所で最期を迎えたといわれています。
 このように、地元の人が喜んでガッツポーズをしたり、勝手に義経や西行を登場させて解釈したり、本当にいいのでしょうか。実は2年ほど前、人文学部卒業の8人ほどでミニ同級会を開き、懐かしい学生時代の思い出話を語っていました。そのとき突然、Uさん(ニックネームはТさん)が「郷土の歴史なんか、有名大学教授とか、有名郷土史家とかが、面白くもない説でがっちり固めてしまっているよね」という、私にとっては神がかりした発言をしたのです。芭蕉の句の解釈に重苦しさを感じていた私は、これに電撃的なショックを受け「芭蕉も、いろいろ面白く解釈する余地はあるなあ」と直感しました。それが、ガッツポーズや、義経・西行につながりました。尾崎さん、Uさん(ニックネームはТさん)、そしてミニ同級会の仲間たち、ありがとうございます。

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