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午年にちなんだ話
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投稿の皮切りは、午年にちなんだ話から始めたい。堅苦しいものではないので気軽に読んでもらいたい。
令和8年(2026)は午年である。午は十二支の7番目で、馬である。午を馬と漢字を別にしたのは、動物の「うま」でなく、神だからである。だから、神である十二支は鼠を子、牛を丑、虎を寅のように、すべて別漢字にしている。
十二支は年のほか、時刻と方角もあらわしている。時刻の方は、24時間を12等分するから一刻は約2時間になる。午の刻は午前11時から午後1時まで、正午は午前12時丁度である。一刻を四等分して一つ時から四つ時まであらわした。「草木も眠る丑三つ時」の丑時は午前1時から3時、その4分割の3番目だから午前2時から2時30分。深夜である。
方角の方は、子を北として時計回りに12等分する。午は南である。子が北だから、地球の南北に引かれる経線を子午線ともいう。
日本のお城の門や隅櫓(すみやぐら)の名前に、巽(たつみ)、艮(うしとら)、乾、(いぬい)などを見かける。巽は南東、艮は北東、乾は北西の方角である。本丸からみてその方角に建てられていたからである。特に北東の方角は鬼(邪気)の出入りする鬼門と考えられていて、都や幕府では鬼門除けとして大きな寺院が建てられた。平安京の北東・鬼門にあたる位置に比叡山延暦寺が置かれたといわれている。山形城では山寺が鬼門鎮護の位置にあり、3代最上家信(義俊)の時、城内にあった熊野神社を六日町に移して鬼門除けとした。
慈恩寺薬師堂に薬師三尊十二神将が祀られている。薬師三尊を守護する十二神将の一躯が午神将で、珊底羅大将(さんていらたいしょう)という。午年と南の午の方角と午前11時から午後1時までの午の刻の時空の守護を受け持っているのである。
中国では、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干と十二支を組み合わせ、年をあらわした。干は幹で支は枝を意味したらしい。最初の組み合わせである甲子は、阪神甲子園球場が有名である。大正13(1924)甲子の年の竣工にちなみ命名された。十干と十二支で本来120通りの組み合わせができるのであるが、共に偶数のため61年目で最初の組み合わせに戻る。これを還暦という。
我が国最初の年号は、公地公民制を定めた大化改新(たいかのかいしん)で有名な「大化」である。皇極天皇4年(645)に大化と改めた。大化改新は、この年6月12日に、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で起こった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)らによる蘇我入鹿(そがのいるか)暗殺と蘇我宗家滅亡に始まる。この暗殺事件を干支にちなんで乙巳の変(いっしのへん)という。その翌大化2年(646)が丙午(ひのえうま)で、大化改新の詔が発せられたという。中国の律令制度をモデルにした国造りが、この年から本格化したのである。今年、令和8年は、丙午の年である。大化丙午年から1380年、還暦を23回繰り返したことになる。今年もなにやら、我が国政治のありようが改まりそうな気配である。




十二支を使った時刻・方角の表記は、中途半端な知識しかなかったので、大変勉強になりました。特に正午が午の刻の真ん中ということ、恥ずかしながら初めて知ったような気がします。